三春張子 狩衣(福島県田村郡三春町)
三春城主 秋田家四代の秋田倩秀が文化に恵まれない領民のために、江戸や京都の芸術・文化に触れさせようと、江戸から人形師を招いてその技を習得させたのがはじめとされる。
藩では、高柴集落の一部にデコ屋敷(人形屋敷)をつくり、職人をここに住まわせ三人扶持・帯刀羽織の着用を許して優遇したといわれ、文化・文政期(1804−29)には、すぐれた人形が多くつくられ、全国にも知られるようになったのこと。古くは高柴人形と呼ばれたが、後に三春藩の名をとって、三春張子の名が親しまれるようになった。
*三人扶持とは、武家の主君が家臣に与えた給与の一種で、一日あたり大人3人の消費分とされる15合の米を支給するとのこと。
余談ですが、
なお、この「狩衣」は、亡父が最も大事にしていた作品です。